今朝、出勤準備をしていると、阪神淡路大震災以来、長い間忘れていた大きな揺れを感じた。震度6弱。
揺れた瞬間妻に抱きつき、一緒にテーブルの下へもぐりこみ、揺れが収まるのを待つ。
頭の中は突然起こった出来事に対応しきれず真っ白になり、今何をすべきか?ということだけが頭の中でぐるぐると回ってた。
しばらくして通学していた子どもから電車が止まってどうしたらいいかわからないとLINEが入り、学校にいけない状況から家に戻るよう促した。
迎えに来て!と甘えたことを言う息子に、状況を正しく把握させるために迎えに行くことで道路が渋滞すると本当に助けが必要な人の救助が遅くなる事態を招いてしまうことが考えられることを説明した。
皆それぞれが違う状況の中で自分で打開していかないといけない局面というものがあることも伝えた。
テレビの速報で学校のプールを取り囲む塀が崩れ下敷きになった9歳の女児が心肺停止だと伝えていました。ここから歩いて5分ほどの距離にある小学校です。
地面からは、水道管が破裂し水が吹き出し、まるで川のようです。
みんな状況を正しく把握できていないと思いました。事の重大さが段々理解できるにつれ、怖さが湧いて出てくる感じ。
どうなるんだろう?
日本全国でいろんな災害が起こるたびに、その被害状況に驚きはするものの、やはりどこか対岸の火事と感じていたことは否めない。でも今は目の前が火事である。
水が出ない。トイレも流れない。
飲み水の確保にみんな車に乗り込み、近くのコンビニを目指す。
コンビニでは、2ℓの水のペットボトルを”1家庭1本にして下さい”と張り紙をするものの、ありったけカゴに詰め込む婦人、店員に咎められても非常事態だから仕方ないでしょ!と開き直る。
東北を思い出す。
被災した人間がみんなで助け合う美談ばかりがスポットライトを浴びるが、その裏にあるドロドロした人の汚さや自分勝手な振る舞いはなかなか報道されることはなかったという。
道路は渋滞し不必要な外出をしているであろう車にイライラする。
その車は、窓から崩れた塀や落ちた瓦の写真を撮り、動物園でパンダを見て微笑むのと同じ顔で通り過ぎる。
関東より北に住む人の方が地震に対する心構えやとっさの行動が必要な時の機敏さが備わっているという。
阪神淡路大震災の際にも、「経験した人間にしかわからない」というセリフが飛び交っていた。
大阪に住む今回の被災者がこの体験を教訓に変えなければならない日はそんなに遠い日ではない。
どうする?大阪。傷だらけの街を元の状態よりも輝かせるためにみんなで考えよう。本当に大切なことを。