漢仁帳

人材育成プロトレーナー漢仁のブログ

心のアンテナを使ったメンターの見つけ方

皆さん、おはようございます。漢仁です。

 

早いもので2021年が明けたと思ったら、もう1月も終わり。あっと言う間に2月になりました。

 

2月の最初の記事は、皆さんも聞かれたことがあるかも知れませんが「メンター」という言葉について一緒に考えて行きたいと思います。

 

目次

 

 

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心のアンテナを使ったメンターの見つけ方

表題についてですが「メンター」という言葉が色んな意味合いを持ちながら、独り歩きをしているなぁと感じたので、私なりの解釈を交え、メンターを持つということがどういうことなのか本質を見極めるうえで重要なことをお話ししていきたいと思います。

 

メンターとは

先ずメンターについて調べてみました。

特定非営利活動法人日本メンター協会のサイトを参考にご覧下さい。

 

www.mentor-kyoukai.jp

メンタリングとは

ja.wikipedia.org

Wikipediaの記述が不十分ということなので、この記事で採用する言葉を簡単にご紹介しておきますね。

 

メンタリング(mentoring)とは、人の育成、指導方法の一つで、指示や命令によらずメンター(mentor)と呼ばれる指導者が、対話による気づきと助言により、被育成者たるプロテジェ(protégé)ないしメンティー(mentee)本人と、関係を結び自発的・自律的な発達を促す方法である。

プロテジェがメンターから指導・支援・保護されるこの関係をメンター制度(メンターせいど)ないしメンターシップ(mentorship)と呼ぶ。

 

 

 私はどこにも属さないので、今日はかなり自分なりの解釈でメンターというものについてお話させて頂きますね。

 

メンターの定義

私も日本メンター協会の定義と言うか、メンターとは・・・という解釈を採用します。

人間的に信頼・尊敬でき、公私ともに安心して相談できる人

 

分かり易い定義ですね。

 

更にそれに加えて【メンターを持つということはどういうことなのか⁉】という観点で進めて行きたいと思います。

 

 POINT!

誰をメンターにしてもOK。あなたがメンターと思える人がメンターになる。

メンターとメンティの関係になることをメンターシップという。

 

つまりメンターシップと言われているメンターとメンティの関係になることがメンティ側から見れば「メンターを持つ」ということになるようですね。

 

この方ご存知ですか?

 

出典:youtube.com

 

40年間指導されてきた名将。徳島池田高校元野球部監督蔦文也氏

今年で没後20年を迎えます。多くの野球人のメンターですね。

余談ですが、池田高校が全盛の時代に私も高校野球に打ち込んでいたので、雑誌に書いてあった彼らの行う練習メニューを真似してやってみたら、次の日5人が筋肉痛で練習に来れなかったという、超厳しい練習なのにそれを笑顔で平気な顔して取り組まれていたことに力の差を見せつけられたのを覚えています。

 

メンターの探し方

みなさんにはメンターと呼べる人はいますか?

 

上述した定義から見れば、単に尊敬できる人とは少し違うような気もしますが・・・

 

私の場合は、人材育成の仕事をする以上、常に自分磨きをしなければならないと思っていましたし、いつも誰かから何かを吸収するのが私の仕事のひとつでもあったと思います。

 

小林正観さん、葉室頼昭さん、平井正修さん、川上全龍さん、草薙龍瞬さん、私が今まで影響を受けた方は他にも沢山いらっしゃいます。

 

中でも平井正修さんは、私が禅の教えから学ぶきっかけとなった方で沢山の書籍を出版されてらっしゃる方なのですが、普段は臨済宗国泰寺派全生庵で住職をされています。

 

平井正修さんの著書「囚われない練習」という本があります。私は7年ほど前にその本を手にして座禅に興味を持ちました。

 

囚われない練習 ~人生を変える禅の教え

囚われない練習 ~人生を変える禅の教え

 

 

   

そこからマインドフルネスについて学ぶようになり、私自身の研修にも取り入れるようになりました。

 

メンターと言えるかどうか、実際にお会いしたことがない方もいらっしゃるのですが、本を読みそこに書かれていることを実践しているうちに師のような錯覚に陥ってます。

 

前述のメンターの定義から判断すると「公私ともに安心して相談できる人」という点で対象から外れてしまいますけどね。

 

ただ、私の解釈ではそれもありです。

 

メンターを無理に身の回りで見つける必要もなく、自分自身の心にメンターとして存在しているかどうかが私は重要だと思っています。

こちらが疑問に思うことに対し著書で答えに導いて下さってることを思うと、私には十分な双方向コミュニケーションなんですけどね。

 

但し、本を読んだだけではダメで、日々の行動にまでその理念や教えを浸透させるところまで至って初めてメンターと呼べるのではないかと思っています。

 

身近なメンター探しの基準

日常生活の中で普段から公私ともに相談できる身近なメンターを探す時にどういう基準で探したらいいのか、実際には迷いますよね。

 

少なくとも良いことを言うだけの人は止めておきましょう。

何も言わなくても行いの善い人の方がまだいいと思います。

 

いい人を見つけたら、そこでその人のことをジャッジ(判断)してしまいそうですけど、あなたの評価が厳しければ厳しいほど対象から外れてしまうと思います。

 

「尊敬に値する」かどうかで判断すると対象にならない人の方が多いと思います。

 

でもそこは、少し緩めの基準で私は見るようにしています。

・ この人いい人だなぁ~

・ こんな人になりたいなぁ~

・ 完璧じゃないけど人間味があっていいよなぁ~

 

その程度に素直に好感を持てる人を選ぶとあまり失敗も無いし、間違ってたとしてもそんなに大きなショックは受けません(笑)

 

メンターを探す時の判断基準のことを私はよく「アンテナの感度」という表現をします。

 

自分が興味ある事柄に対し既に深い知識や経験を持っている人、何度も失敗し成功してるとは言い難いけど失敗の数だけ自分に無い未知の知恵や教訓を沢山持ってそうな人、一緒に居て話が弾む人、楽しい人・・・

 

身近なメンターを探す基準はアンテナの感度を上げてピピピッと感じたまま選ぶのがいいかも知れませんね。

 

私のメンター

私の55年の人生の中で実際に交流を持って頂いているメンターは3人います。

メンターと言える人が3人もいるなんて幸せなことですよね。

 

話は変わりますが、あの松下幸之助さんが「君!学ぼうと思ったら犬の尻尾からでも学べるんやで!」と仰ったという一文を読んだことがあります。

 

何という本の誰に向かって仰ったのかも覚えておりませんが、学ぶ気持ちがあればどんな些細な事からでも学べるという意味で解釈しています。

 

誰をメンターにしてもいいのですが、その人の仰ったことが頭から離れないぐらい心に残るとか、忘れられない一言になるとか、人生の大事な時にふと思い出し、その言葉が自分を支えてくれる言葉になるような「言葉の重み」を感じられる人をメンターにするといいと思います。

 

最後になりますが、メンターの存在は自分自身の頑張る気持ちを応援してくれます。

皆さんにもきっと素晴らしいメンターとの出会いがあると思います。

 

是非アンテナの感度上げて探して下さいね。

 

最後までお読み頂き有り難うございました。

感謝。

漢仁

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