漢仁帳

人材育成プロトレーナー漢仁のブログ

夢が終わった時の悲しさは全ての人に通ずる

おはようございます。漢仁です。

 

今日は昔話をします。時間のない方は素通りして下さいね。

 

皆さんは子どもの頃、何かスポーツされてましたか?

 

私は小学3年生の時に体育の授業でソフトボールを体験して、それが楽しかったこともあって父にねだってグローブを買ってもらいました。

 

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 正確には「グローブ欲しいなぁ」ってボソッと言ったことを父が覚えてくれていて誕生日プレゼントに買ってくれたんですけど・・・

 

暇を見つけては父がキャッチボールの相手をしてくれたのですが全然上手くなりませんでしたね・・・

 

教えてくれる父も素人ですから(笑)

 

そうこうするうちに今度は父のやる気に火がついて・・・
何を思ったか「友達を9人集めなさい!」って・・・

 

父は野球経験ゼロでルールも分からないのに、町の少年野球連盟に新チームの設立を申し込んで、指導者が一人だとダメだと言われて近所のおっさんに声を掛けて、嘘のようなスピードで新チームが出来上がりましたね。

 

私が小学4年生の時だったと思います。

 

同世代の方は覚えてらっしゃるかも知れませんが、その昔「がんばれレッドビッキーズ」というテレビ番組や、「頑張れベアーズ」って映画が流行って、寄せ集めの素人少年野球チームが段々強くなって最後には優勝してしまう感じの内容だったと記憶してるんですが・・・

 

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それをそのまま実在するチームとしてやってのけたのが私のチームでした。

 

最初のうちはまともに勝てた例がなかったような気がするのですが、小学5年生になって初めて町の大会の決勝戦に進んだんですね。

 

何度も優勝している町一番のエリート野球集団で全員6年生の強豪チーム。

私のいるチームは仲良しのクラスメートを中心に作ったチームなので全員5年生。

 

周囲の大方の予想を覆す展開で、相手の強力な打線に捕まりながらも要所要所を締め、粘りに粘って試合は9回でも決着がつかず引き分けに・・・

 

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その当時は、延長戦は無く、勝負はじゃんけんです。
9人がじゃんけんして5人先勝した方が勝ちで、互いに譲らず4対4で迎えた9戦目。

 

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出典:https://shanaiundokai.com/

 

最後はドラマティックなほどの展開で・・・

相手がパー!こちらがチョキ!で見事に優勝を勝ち取りました!

 

下級生が上級生に勝った奇跡の瞬間でした。

 

勝利が決まった瞬間は、まさにこれが蜂の巣をつついたような大騒ぎと言うんでしょうね。帽子やグローブが宙を舞い、監督やコーチ、保護者も選手もみんなが抱き合って泣いていました。

 

40年以上経った今でもその瞬間の光景が記憶に残っています。

 

それが自信になったのか、それからというものの段々強くなっていって、現在にも開催されている由緒ある大会(朝日新聞社優勝旗争奪北大阪少年軟式野球大会)で優勝するチームにまで変身しました。確か第一回大会だったような・・・

 

その後、野球少年は成長して「夢は甲子園に出場すること」って、少年野球の選手が普通に追い掛ける夢を見るようになりました。

 

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いまなら冷静にチーム力とか判断できそうなもんですが、その頃はただ強くなりたい一心で本気で上を目指していましたね。

 

高校3年生の最後の大会。

1回戦は順当に勝ち、2回戦・・・

相手の投手は、バットに当てるのが精一杯なほどの速球投手で、その後プロ野球選手になられたように記憶してます。

 

試合は13‐5だったかな・・・大差で敗れました。

 

もう夢を追い掛けられなくなったこともですが、その試合を最後にみんなと一緒に野球が出来なくなったことが悲しかったですね。

 

試合の結果は、後の人生に後悔だけを残してくれました。

あの時こうしていれば・・・

 

私は投手でキャプテンだったので余計にみんなに申し訳なかったです。

思いっきり泣きました。

 

さて、時代はさらに過ぎ・・・

 

今度はうちの息子、サッカーが好きで小中高とずっとサッカーしてたのですが、息子が高校3年生の時、最後の選手権の予選だったか、インフルエンザが大流行し試合前に検温することになったんですね。

 

サッカー連盟の決め事で、試合前に37℃以上あると試合に出れないんですが・・・

なんとその負ければ終わりの最後の試合で37.0・・・息子は出場出来ないと・・・

 

風邪をひいている自覚もなく、体調も悪くなく、熱だけが37.0℃を超えている状況で、まさに保護者の私にも寝耳に水でしたが、「試合中に何かあったら困る」という判断をされました。


「息子にとっては負けたら終わる最後の試合なんです。微熱で出場できなかったら絶対に悔いが残ると思うんです。ここで死んでもいいから出してやって下さい!」

 

「せめてもう一度測り直してください」

 

親バカなのは承知ですし、親の出る幕ではないんですけど、最後の試合に出場させてやりたくて試合が始まる寸前まで監督やコーチに必死にお願いしましたね・・

 

チームも負けて、息子の夢は試合に出場出来ないままそこで終わりました。

 

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納得いかない息子は試合が終わっても自ら病院に行って検査をして貰っていましたが、何度検査してもインフルエンザはおろか風邪の症状もありませんでした。

 

もう試合は終わったので検査しても仕方ないんですけど、気持ちの持って行き場が無かったのでしょうね・・・

 

彼の人生にも後悔が残っています。

 

なぜこんな昔話をしたかと言いますと・・・

 

今年に入ってのコロナ騒動で、いろんな行事が延期や中止になりました。

 

人の命より優先されるモノなんてないと思っているので仕方がないことだと頭では理解しています。

 

でも私や息子の記憶に残るのと同じ後悔というか残念な気持ちを、沢山の人がいま胸に抱えてるんじゃないかと思うと、胸の傷をえぐられてるような気がします。

 

特にスポーツを経験していた人なら、夢を終わらせなければいけなかった時の悲しさは全ての人に通ずる共通の思いなのではないでしょうか?

 

コロナで中止になったことは勿論誰のせいでもありません。

 

夢をずっと追いかけて思い切り戦って負けて終われた人たちはまだ幸せだったのかも知れません。

 

いまここでスポーツ選手のみならず、一生懸命夢に向かって打ち込んできた方々や戦う舞台やチャンスを失くしてしまった全ての方に心からエールを送りたい。

 

「いままでよく頑張った!」

「君の頑張りはきっと一生涯の宝物になる」

「これからの人生も胸を張って頑張って欲しい!」

「近い将来必ずもう一度全てを懸けて挑める時が来る」

「その時まで人生を投げ出さず頑張って欲しい」

「感動をありがとう」

 

最後までお読み頂き有り難うございました。感謝。

漢仁

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