私が20歳代後半か30歳代前半の頃、友達の紹介で出会った友人(男性)の話。
共通の友達を介して知り合ったので自然に打ち解けて行ったんだけど、その彼が2回~3回目ぐらいに2人で会った時にこんな話をしてきた。
「俺と仲良くしてくれるなら100%信用して欲しい」
突然そんな話をするから、私の頭の中は「?????ん?」って感じだったけど「どういうこと?」って尋ねると・・・
「仲良くするのって度合いがあると思うんだけど『こいつのことは無条件で、どんなことが起きても絶対に裏切らないし100%信用できる!』って思って欲しい」って・・・
「ひょっとしたらこいつ俺を騙すつもりじゃ?みたいな不安に襲われるような場面があったとしても、絶対に俺は裏切らないって約束する」って彼は言ってました。
「信用するなら100%」
いま思えば、彼の言いたかったこともわかるし、自分もそう思います。
でも、もう少し大人になった現在の解釈としては「どんな時でも良い所も悪いところも理解した上ですべてを受け入れる。それはすべてに賛同するのではなく一旦全部受け止めて理解しようとすること」っていう意味なのかなって・・・
友達関係って脆い部分もあって「こんな人だとは思わなかった!」という事が起きた時にがっかりして友達関係にひびが入ったりすることがあると思うけど、全部受け止めていれば「ふーん、そんな考え方するんだ!」って思うだけで自分との違いも受け止めてあげられると思う。
「あなたの考えは分かった!でも俺はこう思う」というのを何でも話し合える関係を作りたいと彼は思ってたんだろうなぁ・・・
顔の見えないSNSの世界でもこういうことはよくあると思う。
急に音信不通になる。
理由を尋ねると「そんな人だとは思わなかった・・・」みたいな感じで。
そこに100%の信頼関係を求めるのはかなり互いの度量の大きさが求められると思う。
顔も見たことない人なんだから想像の範疇でしか判断できない。
簡単に他人を信じるな!とか、絶対に知らない人と会ってはダメ!って言われていても「この人は信用できる人」と判断して、ネット上で知り合った人と実際に会い、若い女性が性犯罪に巻き込まれたりする事件も多発している。
他人を100%信用することが益々難しい世の中になりつつある。
でも、信用なんて簡単には出来ないけど深く繋がっていくことで互いの理解が深まっていくと思うし、良い悪いを「ジャッジ」したり、好き嫌いで判断するのではなく、一旦全部そのまんま受け止めてあげることが大切だと思う。
最近、自分で考えて行動できる中学生や高校生ぐらいの年代になって「仲の良い友達なんて一人もいない」という子どもが増えているそうだ。
お眼鏡にかなう完璧な人などいないというのに「ジャッジ」してしまうから、減点法で他人を判断する傾向になってしまう。
先ずは積極的な傾聴から始めてみてはどうだろうか?
他人のことは分からない、だからこそ分かる努力をする。
分かったつもりで傍にいられるより、分からなくてもいいから分かろうと努力してくれる人が傍に居ることの方が有り難くないだろうか、皆さんはどう思いますか?
私も全部を包み込んであげられる大きな器に憧れてます。
読んで頂いて有難うございました。感謝
漢仁