漢仁帳

人材育成トレーナー漢仁のブログ

他人の幸せ〈ラオスのひも〉

もう随分前のことになりますが、ラオス共和国に行った時の話をしたいと思います。

正式にはラオス人民民主共和国といいます。

 

15年ほど経った今でも忘れられない、そこで受けた衝撃的なエピソードを私の個人的な思い出話ではありますが、皆さんにも一緒に考えて頂きたい内容も含めて記憶を思い起こしてお届けします。

 

その前にラオスについて、どんなところかご紹介しますね。

おそらくマニアックな旅がお好きで「他人が行かない国を旅したい」という方か「何もないところで何もしないでゆっくりと過ごしたい」という方以外は、あまり観光では訪れない国だと思いますから・・・

 

日本からラオスへは、関西国際空港からタイのバンコク経由でラオスの首都ヴィエンチャンまで実際に飛行機に乗っていた時間は7時間くらい。

 

乗り換えの時間や出入国の手続きまで含めると10時間以上掛かってましたね。

タイの空港での乗り継ぎの時にあまりに待たされたので空港が閉鎖されてるんじゃないかと心配になったくらいでした・・・

今は直行便があるかも知れませんが・・・

 

場所をご存じ無い方のために地図を用意しました。ご覧ください

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ラオス人民民主共和国(以下ラオスと略す)は、昔から親日国なのは知っていたのですが、私が訪問した時も誰もが手を合わせて拝んでくれるから「どんだけ日本人が好きなんだろう」と思ったら、誰にでもそういう丁寧な挨拶をすると聞いて「あっ、そういうことね・・・」と若干上から目線の自分が恥ずかしくなりましたが・・・

 

逆にラオスの人から見たら、日本人は挨拶をしない国の人って思われるだろうなぁって感じました。

 

仏教が盛んな国で街のいたるところに寺院があります。しばらく滞在してラオスの人々の生活を見て頂くと、彼らの生活の中に宗教的儀礼や道徳心からくる行いが多く混ざっていることに気づくと思います。

 

挨拶の際は、立ち止まって手を合わせてお辞儀をする。

子どもは食事の時に少し離れたところにいて父親が食べ始めて「ここへ来て座りなさい」と言うまで座らないとか、そのご飯の席に座る時にも父親に向かって土下座して額を床に着くくらい下げるとか・・・

父親威厳あるなぁって感じましたし、その分家族を守るためにお父さんが必死で働いて生きるってことを身をもって示しているのを感じました。

 

私がラオスを訪問したのは観光目的ではありません。

社団法人日本青年会議所のグローバルトレーニングスクールという国際貢献から学ぶトレーニングがあるのですが、おおまかな訪問の目的は下記の通りです。

 

① 飲み水の無い街に井戸を掘って水の供給をする。

  また地元の人と一緒にその作業を行うことで井戸の掘り方を教える。

 

② 壊れた学校の修復

  屋根や壁が崩れ、倒壊したまま立っている学校を一部解体して建て直す。

  地元にある建材を使って地元の人と一緒に作業をし、作業方法を教える。

 

③ 地元の方との交流からラオスの生活や文化を知る

  

どれも大変な作業だったのですが、一番大変だったのは③番。

首都ヴィエンチャンから車で一時間ぐらい走ったところにある、ラオスの中でも開発が進んでいない町(というか集落)を訪れたので想像を遥かに超えた田舎です。

 

しかも、ホテルなど無いので数件ある地元の方のお家に泊めて頂きました。

 

後で聞いた話ですが、日本人を泊めることが出来る家には条件があって、電気があること、トイレや井戸があること、食事を振る舞えること、だそうで比較的裕福な家が立候補して名乗り出てくれていたようです。

 

電気は道路に沿って電線が通っているので、幹と枝のように電線が繋がっています。

でも、下水道が整備されていないので、トイレは穴を掘ってあるところにします。直径10センチぐらいの穴が開いている木の板にまたがり穴をめがけて用を足します。正直難しいです(笑)

 

流す水もありませんし、拭く紙もありません。

 

「トイレットペーパーが無いよ」と一緒に行った同僚が言うので、日本から持参したティッシュペーパーを使いましたが、用を足した後のティッシュを穴に捨てたら、翌朝そこの親父さんが血相変えて部屋に入ってきて、何やら叫んでるから通訳に来てもらって話を聞くと「誰かが紙で穴をふさいだ」と言っていたそうです。

 

そこの村では大も小も穴にするのですが、ティッシュは使わず外にある桶の中に溜まった雨水でお尻を洗うそうです。

 

お尻は拭かないんだ!天然手動式ウォシュレットかぁ~(最初に言ってくれれば)

 

畑に肥やしとして撒くそうで、「ティッシュを一緒に捨てるなんて!」と激怒されてました。丁重にお詫びして許して頂きましたが・・・

 

また、①番の作業では、井戸を掘るのに適した場所を探すのに苦労していましたね。

本当は作業1日目に水脈を見つけるはずが、あちらこちらに穴を開けたけど結局見つからず、作業2日目に「ここだあ!」というところを掘って朝から夕方まで掘ったけど水は出なくて、作業最終日の3日目にようやく水がジワジワと滲み出てくる水脈を発見。

 

掘り進めると「え~!こんなに出るの?」っていうぐらい水が出てきたので村人は大喜びでした。

 

②番の作業は壊れたまま放置されている学校の修復。

作業に取り掛かる前にみんなが不思議に思ったことなんだけど「何で何ヶ月(およそ1年近く)も放置されてるの?」っていうこと。

 

壊れたのは1年くらい前で、台風によって民家も学校の校舎の一部も破壊されて、住民の中には立ち直れずに、壊れたままの家の前にゴザを敷いて藁葺き屋根みたいに藁を載せてるだけの簡易小屋で1年も生活しているらしくて、何で自分で何とかしないの?と日本人の我々には不思議で仕方なかった。

 

日本の市役所みたいな現地の都市開発会社の担当の人が説明してくれたんだけど

「ラオスの人は力仕事が苦手なんです!」って・・・

「えっ?そんな理由なの?」・・・と我々。

「暑い中頑張って作業してもお金貰えないし失敗したらくたびれ損だから」と横にいた村人の通訳担当が真顔で言っていた。

 

確かに技術も知識もないから諦めたくなるのも分かるけど、自分たちの子どもが通う学校が壊れたら「みんなで修理しようぜ!」って保護者が立ち上がるかと思うんだけど、ラオスではそれは無いらしい。

 

じゃあ、いつどんな時に一生懸命になるのか?何になら夢中になれるのか?

 

それは生きること、つまり「生活」だそうです。

 

農作業や家畜の世話などは驚くほど真剣に真面目に取り組むそうだ。

取れた農作物などの食材や鶏、豚、牛などの肉類はほとんど無駄に捨てられることなく骨までしゃぶりつくされる。

 

便利な物など何もないから、石鹸もココナッツで作られるし、お皿は笹を編んだり木を彫って作ったりする。

日本人の我々とは生きることに対する熱意と言うか一生懸命さが違うと思いました。

 

その日の夕方、無事作業を終え、明日はこの村を離れるという日にお別れ会のようなものを開いてくれると聞き、地元の方ほぼ全員と我々全員が広場に集まりました。

 

日本人が座る場所を村の人が囲んで座るような形でお別れ会が始まりました。

 

するとどこからともなく音楽が流れてきて若い子たちが踊りはじめました。てっきり宴によくある「歓迎の舞」かと思ったら、鳴っていた音楽は地元で流行っている音楽で、若者たちが木の下で音楽鳴らして歌ったり踊ったりするのが定番のデートだそうです。

 

 その次に陽気な音楽が流れてきました。「おー!これぞ歓迎の舞か⁉」と思った瞬間、現地の方がみんな立ち上がり踊り始めました。私達にも立って一緒に踊るように促してくれてます。

それほど難易度は高くない踊りなので、盆踊りの輪の中に飛び込んで見様見真似で踊る感じです。

 

通訳によると今日はラオスのお正月だそうで、これは送別会ではなく「感謝を伝える催し」だと言いました。(最初に言ってよ・・・)

私たちが踊り終わった時、みんな笑顔で、みんな入り混じって、誰が現地の人で誰が日本人か区別がつかないくらい寄り添って、ひざを突き合わせてテーブルの花を囲んで座りました。

 

ラオスのお正月(ピーマイラオ)はお正月の凛とした雰囲気ではなく、みんなで喜び合うという感じで、日本のように神社へ行って願い事をしたり、おみくじで自分の新しい一年を占ったりはしません。

 

通訳の人が言いました「ラオスではお正月の主役は自分の目の前にいる人や周囲の人なんです。自分の幸せは願いません周りの人が私が幸せでいられるように願ってくれているからです。だから私も周りの人の幸せを願います

 

それを聞いた時、頭を殴られたような衝撃と体の中に電気を流されたような感覚が身体を貫きました。同時に「これが誰もが幸せになる方法だ!」と気づいたのです。

 

ラオスの人たちは互いに手首に紐を結び合います。

 

これは願いを込める紐で、細い糸を編んで作ってあります。

「どうか新しい一年を元気でお過ごしください」

「私はあなたの幸せを願っています」

「大丈夫!あなたならきっと夢を叶えられる」

「あなたは素晴らしい人です」・・・など

 

このように言葉を掛けながら周囲にいてる人が手首に紐を結んでくれます。

 

結ぶときは本当に真剣に願ってくれています。

 

周囲を見渡してみると下を向き肩を震わせている仲間が見えます。

 

私の頬にも涙がこぼれていました。「みんなが私の幸せを願ってくれている」その気持ちが伝わってくるのです。たまらなく幸せでした。

 

お正月をみんなで祝う儀式(ピーマイラオ)が終わって、歩いて宿泊先に戻りました。

 

部屋に着くと我々の部屋の入口の足元に水の入った容器とタオルが置いてありました。

出迎えてくれた奥様に聞きました。この水はどうやって使うものですか?

奥様は家族のみんなに聞いているようです。誰が用意したの?って感じで・・・

 

通訳数人が村の宿泊先を巡回しているので、ちょうど巡回してきた人にお願いして通訳してもらいました。

奥様曰く「あなた方が戻られた時に砂で部屋の床がざらざらになると寝る時に気持ち悪いだろうと思って、うちの一番下の息子が用意しました。

その家のお子さん(三男坊の5歳の男の子)が用意してくれていたみたいです。

「どうぞ足を拭いて気持ちよくしてお上がりください」と奥様

 

奥様の後ろに隠れるように立っている5歳の男の子に、覚えたてのラーオ語で伝えました「コプチャイライライ」(ありがとうございますの意味)

お母さんは男の子を抱きしめ褒めてあげてました。「偉かったわね~よく気が付いてくれたわぁ~」みたいな感じで。

5歳の子に出来る心配りじゃないと思いません?

 

裸電球の電気を消される前に数えたのですが、私の両手首にはみんなが願いを込めて結んでくれたひもが41本ありました。

ちなみに、このひもなんですが、日本に帰ってから仕事に差し障りがある人は切ってましたが、カッターシャツで隠れる人は自然に切れるまでは切ってはいけないという教えを守り、ずっと付けてました。

私の場合、全部切れるまで3年以上掛かりましたが・・・

  

その村を離れる日の朝、まだみんな寝静まっている頃に地平線から昇ってくる朝日を見たくて散歩しました。

 

村の中のほとんど農道と呼べないような獣道を歩きながら「何もないから幸せなのかも知れない」って、ふと思いました。

手放すことに対する恐れとか、無くてもいい物を欲したりすることはないのだろうなぁと感じました。

 

まだみんな寝静まってると思ってたけど、寝ているのは日本人だけで、現地の人は畑作業や家畜の世話、採れた野菜や果物などを朝市のようなテントが並んだところで販売していました。

 

あまり日本人が来ない所なのか「日本人が来た!」みたいなザワザワ感を感じました。

ただ見て回っているだけなのに、これ持っていきなさい!みたいな勢いでビニール袋にフルーツや飲み物を入れてくれます。

お金は要らないって言って受け取ってくれません。

お騒がせなので早々と引き上げ、宿泊先で奥様に頂いたものを貰って頂きました。

 

数時間後、いよいよ出発のときを迎えました。村を離れる時、現地の人たちと私たちが修復した校舎の前で、お別れの挨拶をします。

 

この村には4日ほどの滞在でしたが、言葉を交わしたことないけど顔見知りみたいな人が沢山できました。みんな昔から知り合いのような気がします。

 

宿泊先のご家族も駆けつけてくれました。5歳にして心配りの達人の三男くんは目にいっぱい涙をためてお母さんの太ももにしがみついています。

私が「おいで!」って手招きすると三男君が走って来て私に飛びついてくれました。

号泣して何か言ってます。

何て言ってたのかは分からなかったので、近くの通訳さんを呼び「この子なんて言ってるの?」って聞くと「行かないで!」「ずっとここにいて!」って言ってますって・・・通訳さんも大号泣でした。

 

本当に連れて帰りたくなりましたが、離れない三男君をお母さんにお返しし、別れを惜しみながら村を後にしました。

 

この村には何もなかったけど必要なものは全部そろってたような気がします。

私たちも幸せをもう一度見直すべきじゃないかなぁって思いました。

 

ここで教えられたことで、「自分の幸せは人が願ってくれている、だから私も自分以外の誰かの幸せを願う」という「幸せの定義」が相手を思う心として必要なんじゃないかなぁって感じました。

 

幸せになるためには、争ったり、競い合ったりする必要はないんですね。

 

あなたが幸せなら私も幸せ。感謝

 

漢仁